2014年6月30日月曜日

憲法の解釈を変えるとは

もし解釈が変わるとするならば
日本は神を2回も無くした国になるんじゃないかと思う


なによりも矛盾を感じるのは

天皇から任命された役職の男が
天皇そのものである憲法第9条を汚そうとしていることだ


国民が望んでいる事なのか?

そうは思えない




2014年6月28日土曜日

嘘つきがこの国の9条を捨てようとしてる

普通に考えて

こんな呆れたつまらない話題をつくる政治家で成り立つ国なんだよ

先日の女性議員に対する暴言なんて最悪だと思う
日本ってそういう国なんだなあと悲しくて仕方がない

誰かが飛ばした野次(じゃないよね暴言)に対して止める事無くのっかって
笑うなんてありえないと思うよ

騒ぎを始末するために一人差し出して
あとは知らん顔

みんなで嘘をついてる

そんな人たちが憲法9条を変える

この国は9条に守られているんだよ
最高で最強な盾なのに

自ら捨てようとしてる

憲法解釈を変えるなんてありえないよ

その解釈を変えたら 自衛隊法だって変わるんだよね

おおもとの契約書を変更するわけだから
今居る自衛隊員はそれに従わなければならないんだよ

拒否は出来ないんだよ



正当防衛


正当防衛って民事上も刑事上も責任問われないって神的なものなんだけど

それが正当防衛かどうかをすぐさま判断して指示出来る国には思えないなぁ

となると指示されて指示した事を絶対としてやることになるんだよね


あとから間違いでしたなんてこと必ずあるから

憎しみの行動には必ず原因があるんだよ

そこから生まれた暴力だけが悪となり

それに対して正当だと暴力をふるう

それも集団で

そこに加わったが為に、そこから生まれる悲しみから憎しみをかう国になるんだよ


同盟国の危機に対して日本が何もしていないなんてありえない

絶対にありえない

沖縄の人の我慢をこんなに軽く見ている政治なんて

ありえない






共生

自然界の生き物とはぐれたのは
共栄共存を忘れたからだ
子どもの頃、そう感じたのは
住職との会話

この世に人まで含めた共生は無い

と言われた

どうして?


肉親を殺した犯罪者と共に栄える事が出来るか?

と返された

即ち共存は出来ても共栄は出来ず
共生にならずと言うことだ

欲張らず分け与え育て合う
死に従い理屈ではなく神の意味を受け入れる

きっと道具を両手にもった時から
薄れはじめたのだろう

彼らが言葉を使う事が出来ないからではない
そんな証明などされてなく
ただただわからないのだ

そこに我欲がある限り

しかしながら
わずかな望みを与えられている

動物との生活
昆虫との生活
草花との生活
赤子との生活

これすべて我欲だけでは不可能

だとすれば
僕は共生を不可能とは思わない

常に

「思う」と言う粒子をはりめぐらせ

調理と言うギフトを頂いている以上

僕は共生の世界を信じよう

否が応でも

海の中

ぼくらは運ばれ岸に辿り着く
否が応でも

そこでいっきに海は遠ざかる

海でつながる安心が
自分の個体を剥き出しにし
火にさらされながら殻となり
安心は必至と代わる

最後のつながりは大地だと知り

殻は自分に宿る自分を待つ

そして大地を踏みしめて

自分の足跡を残す
愛する人が道に迷わないように

痛々しく生々しく足跡を残す

遠くに遠くに
痛々しく生々しく

否が応でも海にかえることを知っているからだ

ふたりは成し遂げ

また海の中

平和のせいにしないことだ

平和の中で自由を求める
それは単なる我儘である
それならば
平和などないと信じ
自由を勝ちとるべきだ

波紋もなく乱れを知らない泉などが
平和とは思わない
むしろ自由を制御された
不自由な満足に躾けられていると
僕はそう思う

汗と勝負を忘れてしまったことを
平和のせいにしないことだ
僕はそう思う

貧しきも豊かだと思うよ

貧しきときも 豊かなときも

孤立してはいけないよ

自分だけがなんて思った瞬間

あなたは卑しく下品になっていく

貧しきも豊かだと思うよ

どうしても そう思えてしかたない

しあわせ

じゃない時でも

しあわせって おかしいかな

もちろん

しあわせな時も しあわせ

だけど

しあわせじゃない時でも

しあわせなんだよ

どうしても そう思えてしかたない

平和とはいったい

平和とはいったい
どれだけ叫んだら平和になるんだろ

争い、偏見、差別、殺人、支配

いったいどれだけ叫んだら
こんなものが消えてなくなるんだろ

そう考えたとき

平和とは子供のようだと思った

育てて 育ち終わったら消えて
その子がまた育てて

永遠なのかもしれない
そんな気がした

だとすれば
平和を求め叫ぶ事が出来る現実が
幸せなのではと

答えは無い

平和を掴んだあとの世界で
人は幸せを感じるのか

それが宇宙の漣ならば

定の中の叫びは止める訳にはいかない

僕はそう思う

せめて自分くらいは自分をと
その下りをつけたメッセージを目に耳にすることがある

僕は嫌い

何故ならその時点で自分を客観させる言葉だから
自分は自分でしかなく
自分をプロデュースするものじゃない
芯から自分なのだから

それよりも
自分を見るより他人を見るべきだ

僕はそう思う

せめて自分だけは自分を信じて、愛して、好きになって

ちがう
他人を信じて、愛して、好きになって

そうじゃなきゃ淋しすぎる言葉

裏切られた 騙された経験がないからだと言葉があっても

ちがうものはちがう

成り立たない

せめて自分を信じて、愛して、好きになる力を他人にぶつけるべきだ

そのうち

せめて、などという言葉は消える

僕はそう思う

ユニークであれ

ユニークであれ

ユニークとは独特とか唯一とかそう言う事だと知らずに使われていることがあるが

ユニークであれ

意識しつくろう事じゃない

ユニークになれる居場所を見つけ
見つけられた事に感謝し
その居場所に感謝する事を継続する

自分を変える事じゃない

もともとユニークなのだから

ユニークであることに感謝し続けたい